2011年05月22日

井山名人のコメント&動画(博賽杯金佛山国際囲碁超覇戦)

博賽杯金佛山国際囲碁超覇戦。

中国重慶の「国際旅行博覧会」という金佛山(ジンフォ山、きんぶつさん)を観光地として売り出すイベントの一環で、日中韓の囲碁三名人による巴戦が行われ、井山裕太名人が中国の古力名人と韓国の李世石国手を制して優勝しました。

井山裕太名人のコメント。
(日本語のコメントが中国語になった記事から再訳出しています。実際の発言とは一致しません。)

参考記事 

sina.com
http://sports.sina.com.cn/go/2011-05-18/17065582233.shtml

棋城(台湾)

http://www.9star.com.tw/shownews.asp?id=3994

棋城の記事の真ん中辺り:井山名人のコメント抄訳部分の訳。
「(二日目、古力との対局について)布石は自分のほうが不利でした。右上を獲った後形勢が五分に近づきましたが後半複雑になりました。運よく勝てたと思います。古力さん李世石さんというトップ棋士に連勝でき、今日はプロになってから最高にうれしい日です。しかしまだ肩を並べたとは言えません。国際棋戦でますますがんばっていかないとと思います。」


一日目(2011/5/16):井山裕太(黒)対李世石 黒番中押し勝ち(リンク先LGS 棋譜再生)



二日目(2011/5/18):古力(黒)対 井山裕太 白番中押し勝ち(リンク先LGS 棋譜再生)




sina.comの動画。CCTVの朝のニュースで「超覇戦:古力、銀」の報道。対局映像がちらっと映ります。
井山名人のコメントシーンはありません。
「日本小将」は「日本の若手のエース」の意味。



三村智保九段がブログで「名称が長い・・・」とおっしゃってましたが(たしかに長い^w^)、
この対局の略称キーワードは中国では「金佛山」「超覇賽(スーパーマッチ)」のようです。

日本国内の報道は、日本棋院が大会後にオリジナル呼称を付け替えたり中国語名称に順ずる形にしたり(した影響か?)、
毎日.jpは「博賽杯金佛山国際囲碁超覇戦」、
YOMIURI ONLINEが「金佛山博賽杯国際囲碁選手権」、
asahi.comが「中国・重慶市で開催された日本、中国、韓国の一流棋士3人による大会」「『国際旅游文化祭』の一環」 
と表記にぶれがあります。

主催の中国側の名称「博賽杯金佛山国際囲棋超覇賽」は、単語だけ訳すと”Exhibition Game:Mt.Jinfo International Weiqi Super Match” のような感じです。
日本棋院は「博賽杯」を協調したいようですが(「杯」が付いてるから?)、個人的には中国の報道同様「超覇」を推したいところです。
だって、タイトル呼称として井山超覇!(ちょうは/チャオバ[chao1ba4]:国際囲碁スーパー)のほうが博賽(はくさい/ボーサイ[bo2sai4]:イベント対局、非公式戦のニュアンス)を前面に出すよりだんぜんかっこいいやん。


「井山白菜」で作ってもよかったなー、久しぶりのなんちゃって碁新聞。

20110522_1.jpg

画像は壁紙宇宙館さんから。
posted by もっも at 17:03| Comment(3) | TrackBack(0) | インタビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

フットサル古力さん

中国の古力九段や常昊九段らがフットサルをしている写真特集を紹介します。

sohu.comの写真特集
52枚もある^▽^

5/8、中国棋院チーム対アマチュアフットサルチーム(重慶銀行)との親睦試合だそうです。


古力さん、写真からの判断ですが身のこなしが軽快ですね
スパイクもかっこいい。
常昊さんも。

韓国棋院の棋士らが観戦中。 なんの棋戦のついで? まさかこの試合の応援に来たんじゃないよね?
崔哲瀚(チェ・チョルハン)九段がチームメンバーに入ってる・・・ 
もちろん出場してます。 やっぱりこのために来たのかしら・・・。

最近あまりお見かけしてなかった中国の女性棋士唐莉さんがいたり、

聶衛平さんが監督役で戦術を授けてたり。


中国棋院チームのウエア、見たことあるとおもったら、川崎フロンターレの練習用かなにか?(袖にJのマークも見えるような・・・)


2009年の親睦試合の動画がありました。↓ 


posted by もっも at 21:00| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

ドラマ「江」の碁、秀吉の念書

NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の囲碁シーン登場の二回分を見ました。
※ 最期の一手の棋譜が抜けてたので追加しました。

第13回「花嫁の決意」(4/10放送分)
第15回「猿の正体」(4/24放送分)
連休中に見直して思ったのは「このドラマ、案外玄妙幽玄かも知れぬ!」です。

囲碁シーンが出てくるこの2回は江の最初の結婚の前後です。

「江」は「碁ぅ」、あるいは「劫”(ゴウ)」なのか?
「江〜姫たちの戦国〜」は江姫の運命を盤上の石に象徴させる壮大なファンタジーなのかも・・・?
そう期待させる演出です。
本記事も長いです。

このドラマはコメディーときにオカルティズム濃厚な演出や役の年齢が合ってないようなキャスティングに違和感が大きくて放置してたのですが、いわゆる「NHKの大河ドラマ」に期待するイメージを抜きにすれば楽しめると思います。
(しかし、期待値や先入観にかかわらず大抵の視聴者はそんなに気合入れてテレビドラマを見ないものだから、脚本やこだわりの細部というよい意味の「けれん味」に目がいくようにしてほしい。毎回録画再生にこんなに時間とエネルギーかけられないわ・・・。^x^)


今回は第13回「花嫁の決意」(4/10放送分)のこと。
秀吉の命で江が織田信雄の家臣・佐治一成に嫁ぐまで。

徳川家康対織田信雄の囲碁対局シーンが出てきます。

ちなみに盤面はこんなかんじからスタート。
次、白の家康の手番です。
(盤面はテレビの画像を参考にしました。おかしかったら修正ください)
http://bit.ly/jvLWuh(つぶや棋譜)
詳しくは記事後半で。

13-goban-0.jpg


ドラマは、「戦国時代、娘や姉妹は重要なコマだった・・・秀吉は信長の三人の姪という天下取りに向けての最高の切り札を手に入れた」の語りから始まる。


秀吉から江姫12歳に縁談がもたらされる。
「サルの言いなりで結婚などしたくない」末妹の江、「ありえぬわ〜」と笑い飛ばす次姉お初、「なぜ末の江に・・・」と訝しがる長姉茶々。

三姉妹は秀吉のもとに赴き、縁談のことを尋ねる。
縁談の相手は尾張大野城城主の佐治一成(さじ かずなり)。
三姉妹の母お市の方の姉の子、つまり従兄。

秀吉は織田信長が夢枕に立って「信雄と仲ようやれ」と言ったのだと三人に説明する。

秀吉の形勢判断は、「(信長の次男である)織田信雄(のぶかつ)が羽柴を攻めようと計画している、徳川もそれに与している。このままでは信雄を敵に回し討たねばならない。佐治一成は信雄の家臣、お江が佐治に嫁げば織田家の勢いを取り戻せるかもしれない」というもの。

江は織田家再興に心揺らぐが、秀吉が茶々に執心なのは周知である。
江は目障りな自分が嫁げば秀吉は茶々をものにできると思っているのだろうと言い当て、姉の茶々も母代わりの態度でこの縁談を断る。


※「茶々ではなく江を嫁がせたのは秀吉が江を疎んじたから」という説は植松三十里さんが述べておられます。
この辺りもこのドラマの参考にされたのでは?
リンク先は小和田哲男さん(ドラマ「江」時代考証)と植松三十里さん(時代小説家)の対談「戦国から江戸時代を強く生きた女性たち」http://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_taidan_201103.html
この対談は興味深かったです。本も読みたくなった。※


また山崎城で秀吉、石田三成、黒田兵衛ら内内の会話では

「佐治は5万石の小大名ながら伊勢随一の水軍を擁する。信長の姪御が縁付けばいくさは俄然我ら羽柴に有利。また、佐治が信雄から離反することも考えられる、それが叶わずとも江が嫁げば信雄の動きを内側から見張ることができる」と。

秀吉の妻おねは「三人の姫様はお市様から預かった大切な姫様、いくさの道具になど!」と憤るが、秀吉は佐治側にこの縁談の申し入れを送る。



場面変わって浜松城。
織田信雄と家康が碁を打ちながら会話。
江と佐治との縁談はすでにここにも届いている。
黒:織田信雄、白:徳川家康

家康「サル殿から縁組が。しかも茶々様ではなく末の姫様にとは。(家康、白1に打つ)」
信雄「誰でもよいのです(信雄、間髪いれず黒2に打つ)。サルめは佐治の水軍が欲しいに決まっておりまする」
家康「ま、見え透いたことをあえてやるのがサル殿。・・・それでいかがなされるおつもりかな(ヒキの画面。信雄、家康が囲む盤面全体が映る)」
信雄「止める理由はない。江など佐治家にくれてやりまする」
家康「しかし、佐治殿が裏切るということは?」
信雄「それはありませぬ」
家康「織田の絆はそれほど深いと(家康、白3に打つ)」
信雄「さよう(信雄、間髪入れず黒4に打ち、二子取り上げる)寝返りなど断じて!させませぬ」

※ドラマの囲碁シーンの監修をした桑原晋平六段によると、家康の次の一手が「いい手」だそうです。
(桑原さんによるレポート記事「週刊碁 2011年2月7日号」掲載から。)

白、どこに打ちますか?
棋譜再生 http://bit.ly/klP5dj

13-goban-4.jpg

家康「(信雄をじっと見て)なるほど・・・(家康、江姫が秀吉を打擲するのを唖然と見た場面を回想)あの姫様をサル殿が出そうとした訳・・・分からなくもないのう(家康、5に打つ。)」

※白5の図はもう少し下にあります。


ここで囲碁のシーンは終わり。

桑原六段によると、監督側から盤面作成について注文も多かったそうです。
これは「家康にいなされる信雄」のイメージとのこと。「信雄はうまくやってるつもりが、家康の最後の一手でギャフン!と言わされる。しかも打たれてから『アッ!』となる感じ」だそうです。
白1
gou13-1.jpg
黒2
gou13-2.jpg

黒2までの盤面全体。
13-3-goban.jpg

白3、黒4
13-5.jpg


白5・・・ギャフン!
13-6.jpg

白5は上辺へ。
13-goban-5.jpg

ドラマでは映りませんでしたが、是非「ああっ」な信雄のリアクションを想像したいところ。

織田信雄(wikipedia)、戦国時代の武将としては「時流を見る目のなさによる失敗が多い」おっちょこちょいだそうです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%9B%84


(信雄より碁が弱く、歴史も弱いので助けて〜
白1,3,5で黒に二子取らせて右上を白一色にできたということ?
白5で黒に二眼できないということか。

黒は白5に早く打っておけば生き延びたということ?

「信雄に二子取らせる」は何の比喩なんでしょう? 
江姫と武功? 領地?)


さてドラマは三姉妹のいる安土城に切り替わる。
寝所のパジャマトークでは「婚儀の話進みませんねえ〜」とのんきなお初チャン。
「スイーツ女子」として物語にスパイスならぬバニラエッセンスを振りまいてくれる存在です。


江は「織田の誇りを守ってほしい」との母の言葉を思い起こし、縁談を受け入れ安土を出た。
長姉の茶々は、秀吉の妻おねから江が秀吉に書かせた念書を見せられる。
この輿入れで織田の繁栄といくさの回避だけでなく姉を守ろうと、秀吉に「茶々に邪心を持たぬ」と誓わせていたのだ。
守らねばと思っていた末の妹にここまで守られていることを知って涙する茶々。


大野城で江が佐治一成と対面するころ、
秀吉は信雄相手のいくさを起こす。
信雄は秀吉が内通したとして、秀吉の家老を3人も斬り殺した、看過できぬと。
佐治が秀吉側に寝返るか・・・?

(※ここ、あっさりセリフで流されましたが
これは天正12年(1584年)3月6日の伊勢長島城での謀殺の件だそうです。
秀吉に内通したとして信雄に殺されたのは岡田重孝、津川義冬、浅井長時。
彼らはもとは「織田信雄の三家老」で秀吉が懐柔していたらしい。
秀吉の「わしの家老」の表現だと、家老を間者として送り込んだニュアンスなんじゃ??

ともかくこの件が発端となって小牧長久手の戦い、秀吉軍対信雄・家康連合軍の戦いになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%89%A7%E3%83%BB%E9%95%B7%E4%B9%85%E6%89%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

ドラマ「第13回 花嫁の決意」の内容はここまで。




今回の囲碁以外のわたしのフォーカスは「念書」です。

江が秀吉に念書を書かせたというのはドラマの創作部分でしょう。

三姉妹のやり取りは「お嫁に行きたくなーい」「秀吉キライ〜」とかきゃぴきゃぴした今どきの女の子を感じさせますが、よく見ると江はしたたかですね。
自らの結婚を秀吉が姉に不可侵とすることを条件として受け入れる、これぞ戦国時代の政略結婚、合戦中心の争いではない「姫たちの戦国」。

しかし、後に(秀吉が茶々を側室に迎えるという史実どおりの展開で)、江が書かせた念書は反故にされてしまいます。

現代の契約書と同様、当時の誓約にはフォーマットがあり、神仏を頼みに誓うとするのが固い。

参考例:国立公文書館所蔵の『浅井久政同長政連署起請文(朽木家古文書)』(リンク先の三点目の画像:クリックすると大きくなります)。

http://www.archives.go.jp/exhibition/popup_haruaki_23_haru/popup_haruaki_23_haru_01.html

これはお江の祖父と父・浅井久政と長政が朽木元綱との連盟を約束する書状。

起請文(きしょうもん)は前書(まえがき)の後に神文(しんもん。罰文とも)からなります。
前書には契約内容とそれに関わる人物による署名、神文には誓約を破ると神仏の罰をこうむる旨が記されています。
神文はここでは熊野の那智大社の護符の裏に書かれており、ヤタガラスの印判で文字を形象しています。

現代の契約は法の下ですが、当時は神仏の立会いの元に成立、とも言えるでしょう。


江姫は当時の武将間の公文書ルールを使いこなせず、秀吉に「お姫さまのお約束(はあと)」的にいなされます。
(ドラマでは秀吉が「ちかひ申すこと 一の姫に邪心を持たぬ」としたため、秀吉の署名、花押のみ。)

この後江が佐治一成とも離縁にさせられたことで、この婚姻を交換条件にした念書自体が不成立、と一笑に付されてしまいます。


もしここで正式な誓紙を婚姻を条件に入れずに交わしていたら
「おのれ秀吉、神仏に代わって成敗してくれる〜!!」とお江が兵を挙げるという展開もありうるのかもしれませんが、歴史を覆さない大河ドラマではそうはなりませんでした。

(まあ、当時の武将・・・とくに信長や秀吉は誓詞がなんぼのもんじゃいとばかり約束破りも多かったのでフォーマットを整えていたらよかったともいえないわけですが。)



「江」の観賞はまだ続く。

いろいろやりたかったのに連休が終わってしまう〜><
posted by もっも at 20:03| Comment(7) | TrackBack(0) | 江戸時代の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

囲碁普及に熱い張栩さんと台北

棋城の記事からもう一つ。張栩さんの囲碁普及活動支援の話。
棋戦で活躍するのみならず、囲碁普及支援にも積極的な張栩さん。


元記事
張栩、無料の囲碁学習を支援(棋城の記事)
http://www.9star.com.tw/showtalk.asp?id=982


記事訳ここから→→

張栩は恩義を忘れない人である。
棋聖二連覇の就位式では日本の震災義捐金として1500万円の寄付を表明した。
今回は台湾の囲碁を学ぶ児童らを喜ばせた。
5月27日夕には大安国民中学の生徒と青年杯の児童と楽しく過ごす「張栩と話そう」夕食会を開く。
また父親の張遠錫が台北体育総会囲碁協会副理事長就任の際「2000名の児童が無料で囲碁を学ぶ」ことを発起し、張栩はこれに賛助の意を述べた。台北市内の囲碁委員会所属の囲碁教室が張遠錫・張栩父子の熱意に応えて10の入門クラスを提供することにした。

これは張栩の恩返しであり(台北囲碁界からの)思いがけない贈り物でもある。

←←記事訳終わり。


情けは人のためならず身に廻る、ですね。

楽しい夕食会が気になります〜




ラベル:張栩
posted by もっも at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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