2011年03月31日

「朝鮮童謡選」に見る近代以前の朝鮮の碁

「朝鮮童謡選」に囲碁の出てくる童謡が二点収録されていたので紹介します。

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本書は1920年代に東京在住の朝鮮人から採集した口伝民謡のうちの童謡の選集。
金素雲の訳編による。
年号から分かるように、日本が朝鮮を併合していた時代の採集です。

手元の本の奥付によると1933年(昭和8年)初版、これは1972年改版分の2005年13刷。

---------引用1ここから

ぶくぶく背中の疣(いぼ)がえる
なんでお背(せな)がふくれたの
全羅監司(ジョンラカムサ)をしたときに
道楽しすぎて ふくれたよ


ぶくぶく背中の疣(いぼ)がえる
なんでお手々が真赤(まっか)いの
全羅監司をしたときに
碁を打ちすぎて 赤(あーか)いよ


ぶくぶく背中の疣(いぼ)がえる
なんでお目々が大きいの
全羅監司をしたときに
睨(ね)めつけすぎて 大きいよ

---------引用1ここまで

※ 監司は一道(行政区画)の長(おさ)。全羅監司は全羅道の長。

---------引用2ここから

呼んだは 誰だ
呼んだは 誰だ
一つ星どんが 見えて
碁でも囲(かこ)もと よびなさる

--------引用2ここまで


この選集の原本「諺文朝鮮口伝民謡集」には二千四百首が収録されていました。
童謡に描かれないことは分かりませんし、訳語の「碁」が、現在の「碁」を同じ物を指しているかどうかここでは確認できません。
併合下の採集ですが、ここで描かれる碁が日本の碁の影響を受けたものかどうかは不明です(個人的にはこの時点の朝鮮の碁の発展は日本とはあまり関係ない気がします。このあたりの資料や研究があれば知りたいところです。)

氷山の一角たる引用の2点に描かれる情景は日本にもあっただろうと感じられるものです。

1のうたは権力者・地位者をからかうパターン。
お偉いさんは道楽にふけり、庶民を悠々と監視している。
「碁を打ちすぎて手が赤い」には職務に勤しまず有閑な姿を皮肉る視線を感じます。

2のうたは日暮れの歌。
大人子どもが一日の仕事や遊びを終えて家に戻り盤を挟む、ほのぼのとした団欒が見えるようです。

高官はもしかしたら政治的下心――たとえば誰かに接近したり交渉したりする手段――のために碁の腕を磨いたかもしれません。
仕事を部下任せにして自身は暇を持て余して碁に興じたかもしれません。
庶民は昼間の仕事の後に碁を家族や近隣の友との娯楽としていたのでしょう。
高官だって、碁が好きでなければ手が腫れるまで打ったりはしないでしょう。

たしか趙治勲さんの話で聞いたものですが、
朝鮮韓国ではかつて「碁打ち」はアウトロー的な存在で一般の世界とは離れているものだったそうです。
プロの組織もなかった、それで自分は碁を打つことが職業として成立している日本に来た、と。

わたしはそんな話から、プロが成立する以前の朝鮮韓国の碁は長年に渡ってすさんだおどろおどろしいものだったのかしら・・・と漠然とイメージしていました。

しかし、決してそればかりではないらしいことが昔の童謡から垣間見れるようです。

posted by もっも at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 近代の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

志半ばの亡命者と日本の碁

今日、NHKのETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年:
第10回 “脱亜”への道 〜江華島事件から日清戦争へ〜
」を を見ました。

日本に外国の船が来てやがて維新が起こって・・・の時代、朝鮮王朝にも遅れて外国の船がやってきた。朝鮮が西欧化を拒んでいた時期に、「開化派」と呼ばれ日本に「西欧思想をもとにした近代化」を学びに来た朝鮮の若者がいた。福沢諭吉の慶応義塾が受け入れた、金玉均(キム・オッキュン)らである。
オッキュンらはのちに朝鮮でクーデター(1884年 甲申事変)を起こし新政府を立ち上げようとするが3日で制圧され、日本に亡命した。
そして刺客を逃れて小笠原、北海道など日本の各地を転々・・・

というところでようやく、わたしは「この人、碁を打つ人!目」と気づきました。

(番組では触れられなかったことですが、囲碁の本で読んだこと。wikiにも少しふれられている)
オッキュンは本因坊秀栄と親しく、秀栄はオッキュンを追って小笠原・北海道まで行ったそうです。小笠原諸島や北海道に囲碁の文化が根付いたのは、秀栄・オッキュンらの存在があったからだそう。


のちにオッキュンは上海に渡るが銃弾に倒れ、朝鮮では反逆者として死体をさらされた・・・。


政治家キム・オッキュンの人生として追うと朝鮮の清からの独立・近代化という自らの志をその手で成し遂げられなかったむなしさを感じるのですが、
小林光一さんや依田紀基さんや山下敬吾さんといった北海道出身の強い棋士さんの存在を思うと、この人は本人の思いとは違うところでなにかを成し遂げる人生だったのかもしれないなあ、と思います。


盤面のこっちの端の石の死と向こうの端の生きはつながってないようでいろいろな作用があってやはりつながっているのかもしれないな、そんな気になります。
posted by もっも at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 近代の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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